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Report / オープニングトーク|津田直 × 二俣公一

DSC_2034-15-02 会場撮影:Daichi Chohara


「色やカタチ、その背後にあるもの」

 今年のデザイニング展メイン会場(天神イムズB2F|イムズプラザ)オープンに合わせて行った、デザイニング展として最後のトークイベント。第一部のゲストは、デザイニング展2014のメインビジュアルを撮影していただいた写真家・津田直さんと、プロダクトから空間まで様々なデザインを手がけるデザイナー・二俣公一さん。福岡に拠点を構えながらも国内外で活躍するお2人に、 福岡の魅力やデザインする場所としての可能性などについて、お話しを伺いました。

 お二人は写真とデザイン、活動するフィールドは異なるのですが、表現に向き合う姿勢や考え方に、とても共通する部分があるなと感じていました。

 まずひとつ目の共通点として感じていたのは、「つくり手としての自負」が、圧倒的に強いということです。津田さんは、「フィールドワークを行っている最中に、次に(撮影に)行くべき場所が見えてくるんです。」といい、二俣さんは、デザインをはじめるときに「すでに頭の中にイメージがあるんです」といいます。何かをつくったりデザインをはじめる時、通常は、目指すべきイメージが自分の中に明確にないことの方が多いのではないかと思うんです。いろいろ試行錯誤する中で、その最終形を徐々にイメージしていくといいますか。でも、お二人には最終的なアウトプットのイメージが、そのつくるプロセスのとても早い段階で明確にある(らしい)のです。自分自身がやりたいことややるべきことが、明確なヴィジョンやイメージとして自身の中に存在しているということは、自分自身が果たすべき役割についてとても自覚的でなければなりませんし、すごく遠い過去や将来をいつも意識していない限り不可能だと思うのです。

 2つ目に、「つくるまでかけられる時間の長さ」です。これは、津田さんの場合「カメラを向けるまでにかけられる時間」、二俣さんの場合は「1本の線を引きはじめるまでにかけられる時間」、その長さのことです。これは、「つくる」という状況に自分を引き上げていくまでの用意の周到さ、と言い換えてもいいかもしれません。お二人は、そこにかける時間やエネルギーが膨大で、そのことが作品の空気感や様相をつくっているように感じていました。

 3つ目に、「場所についての自覚」です。お二人は、つくり手としての軸足をどこにおくのかということについて、とても意識的であると感じていました。「軸足」は、拠点を構える場所のことでもあり、所属する場所のことでもあります。場所を選ぶということは、「世界をどこから見るか?」という、自分自身の重心や視点を定めることであると同時に、「自分や作品がどのように見られるか?」という、自分自身の背景について意識的であることも含むものです。

 そのような共通点を感じていたお二人に、そのスタンスを支えているものやプロセスなどについて話しを伺いたい、ということが、本来の目的でもありました。 


11.SAMELAND
12.SAMELAND Photograph by Nao Tsuda


 津田さんがライフワークとして撮影されているもののひとつには「山と道」があります。それは、私たちが気軽に訪れることができるようなものではなく、標高4000Mの山々が連なるアルプスや、ヒマラヤの王国ブータンの聖山、フィリピンの火山周域など、通常は原住民しか入ることが許されないような場所もあります。トークの中でも言葉を慎重に選びながら表現されていたのでのですが、その言葉からは、撮影にはそれ相応の危険が伴うことが容易に想像できました。その過程では、チームのリーダーである津田さんの判断ひとつがとても重要な意味を持つため、そのチームへの配慮やリーダーシップの発揮の仕方には、とても見習うべきことがあります。また、撮影のためのフィールドワークや事前の視察に膨大な時間とエネルギーをかけ、山やその土地の人たちとの関係を築くことは、その土地で暮らす人びとや山自体が見ている(見てきた)景色を写すために、言い換えると自己を消して「他者の目」になるために必要なことだったのです。


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 二俣さんは、デザインをはじめるときに「すでに頭の中にイメージがありました」と話しました。でもよく話しを聞いてみると、条件が出揃いデザインがはじめられる状態になるまで具体的なスケッチだけでなく、考えることすらしない、といいます。そうして客観的に状況を見定め、そのプロジェクトにとって最適なゴールへの道程が見えたと思えた時に、デザインをはじめるのだ、と。なので、実際には「はじめからイメージある」のではなく、「イメージができるような状態になるまでデザインをはじめない」ということが、正確な言い方なのかもしれません。EKジャパンのためにデザインした「22(トゥー・トゥー)」は、2つの真空管とダイアルがあるだけの、とてもシンプルなアンプです。でも、「ダイアルを2つにする」ということは、製作者たちにとっては、それなりの工夫が必要なはずです。そのことは十分承知した上で、でもプロジェクトにとって必要だと思えることには一切妥協せず、そのプロジェクトに関わる人たちに敬意を払い、最大限の配慮をしていくのです。


02_22 Photograph by Hiroshi Mizusaki, Designed by Koichi Futatsumata (KOICHI FUTATSUMATA STUDIO)


 会場で交わされたお二人の会話は、改めて、デザインや表現の本質は、結果として現れた「色やカタチ」だけでなく、その表現が生まれるまでに辿ったプロセスや、それによって生まれた関係性にあるのだと感じさせてくれるものでした。お二人の表現やつくり出すものは、その結果だけを見てみると、美しく、ある一定の凛とした空気感をもっているので、誤解を恐れずにいうと、自分がつくりたいものや表現したいものだけに向き合っているような、いわゆる「アーティスト」や「デザイナー」のような印象を受けるかもしれません。でも、トークを通して話されたことは、彼らの表現はたくさんの人たちとの協働で行われるものであり、そのチームや環境への最大限の配慮が行われているということでした。自分自身が果たすべき(または、果たすことができる)役割について自覚的であるからこそ、その結果としてでき上がる「色やカタチ」の質について責任を持つからこそ、つくるまでに時間がかけられるのであり、そのことが表現の根本にあるのです。


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 トークイベント終盤の質疑応答で、是非お二人の話しを聞きたかったと会場に駆けつけた中学生の女の子から「夢を実現するために、いま、私にできることがありますか?」という質問が投げかけられました。それに対して津田さんから「僕は昔から、ノートの左側に将来実現したい夢を、その右側にいま現在実現できていることを書き並べ、そうやって、常に将来の自分と現在の自分との距離を図ってきました。そこからはじめることは今日からでもできるのではないでしょうか?」とアドバイスがありました。その言葉を聞いた彼女は、「ありがとうございました、頑張ります。」と、涙を堪えながら応えてくれました。

 10年前に「デザイニング」という活動をはじめた当初、「つくり手が考えるデザイン(表現)と、受け取られたもの(理解されたもの)との間には大きなギャップがあるのではないか?」と感じていました。デザインや表現の背後にあるものを伝えること、そのギャップを埋めるためにはじめたものが、この「デザイニング」という活動のはじまりの問題意識であり、私たちが素晴らしいと思えるつくり手(表現者)やデザイン(表現)を、華飾無く、過不足無く伝えるために行ってきた活動の履歴でもあります。デザイニング展最後のトークイベントで、イムズプラザのような不特定大多数の人々が行き交う開かれた場所で、今回のような真剣な対話ができたことは、10年前には考えられないような状況であり、私にとって、とても嬉しい出来事でもありました。

[TEXT|井手健一郎]