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Report / DESIGNING PARTY

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”?”の温故知新

デザイニング展オープニングパーティレポート
取材:山路祐一郎 撮影:長原 大智 (デザイニング展サポータースタッフ)


今年で10年目、そして一つの区切りを迎えるデザイニング展がついに始まった。第1回と同じ会場、WITH THE STYLEで行われたオープニングパーティは華々しさに包まれながら、この10年を振り返させられる一夜となった。ここでは、パーティで行われた2つのトークイベントについてレポートする。


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【DESIGNING? TALK】

先ず行われたのはDESIGNING? TALK。ここでは過去デザイニング展に参加したゲスト達を迎え、改めて「今、何をデザインしているか」についてトークが繰り広げられた。ゲストは、ゲリラレストランを主催する諏訪綾子氏、空間や企業サウンドロゴ等でサウンド・デザインをする畑中正人氏、普遍的なアイテムに特殊な素材を用いる作風が特徴の稲田博範氏、展示と共にデザイニング展の実行委員としても参加を続けた坂下和長氏、の4名だ。

井手氏からはまず、この10年での変化についての問いが投げかけられた。一括りに10年と言っても、その辿ってきた道はそれぞれに異なる。諏訪氏はこの10年でゲリラレストランを世界中で開催して来た。そして現在は金沢21世紀美術館での展示も行っている。そこには、双方向性を持ったゲリラレストランでの参加者からのフィードバックがきっと活きているのだろう。対して、畑中氏はクライアントと向き合うサウンド・デザイナーの仕事を中心にする様になった。そもそも「作曲家」ではなく「サウンド・デザイナー」という肩書きで名乗るようになったのは最近のこと。今ではCM等で普段から私達も耳にする音には畑中氏が作ったものも多い。畑中氏はクライアントから仕事を依頼される立場にいるが、稲田氏は工場に発注を送る、クライアント側の立場から仕事をする事も多い。稲田氏は使う素材が特殊な為、要する工程は多い。そんなプロダクトに追加で注文が入ったときの工場の方からの素直な喜びに、稲田氏はデザインする喜びを感じるのだそうだ。
そこには年月と共に工場の方と積み重ねた信頼関係が伺える。関わりあう中で状況は変わる。坂下氏はその中でもデザイニング展との関わり方を大きく変え続けた一人だ。作り手や伝え手として様々な立場を経験した坂下氏は、それら立場を縦断して伝える事の大切さを、「ものすごく精度の高い伝言ゲーム」と例えてくれた。この言葉には、それを成り立たせるデザイナーの仕事の意義を考えさせられた気がしている。

ゲストの方々に多様なこの10年間を振り返って貰った後、最後に井手氏からは、これからの活動についての問いが投げかけられた。以下はそれに対しての各ゲストからの返答である。諏訪さんは自分が作る食べ物は無くても生きて行ける物。でもそこに可能性を感じていて、そういう物だからこそ、それを私達人間が本能的に向き合って来なかった物に感じているという。その可能性を突き詰めたいという諏訪さんからは静かな中にも揺るぎない決意を感じた。畑中さんはここ数年、社会に役立つ音が何かをずっと考えていたのだとか。来年20周年になるため、自分の中の根源をインスタレーションかパフォーマンスかは分かりませんが形にしてやりたいとのこと、今後の動きにますます目が離せない。一方、稲田さんは、今まで通り活動を続けて行きたい、と言う。また、StichandSewではオーソドックスな形と面白い素材の構成を用いているが、そこに『何で?』という問いを投げられる商品を提供したいと語る。最後に坂下さんが話し手くれたのは物の有り様だった。物には使われる環境・状況が有るが、その中で使われていない状況が圧倒的に長い。その状態が美しくなる事を大切にしたデザインをしたいというのだ。どの話もこれまでの常識や概念を軽快に裏切るものだった。デザイナー達の生の声で振り返るこの10年の話を聞いたこの時間は、
私達に彼らのこれからの10年を想像させ、そして私達自身の10年後を想像するヒントを見つける時間となった。10年後、彼らは何をデザインしているのだろう。それを聞ける日が楽しみでならない。


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【TALK SESSION】

セッティングを変えて次のトークセッションへ。ここではデザイニング展に縁のあるゲストを交えてのトークセッションを行った。ゲストは、松澤剛氏(E&Y)、幅 允孝氏(BACH)、尾原史和氏(SOUP DESIGN)、小林和人氏(Roundabout / OUTBOUND)、山本和豊氏(dessence)、山田遊氏(method)と多様で豪華な顔ぶれとなった。デザイニング展との関わり方も、冊子づくりや出展、ポップアップショップの出店、企画への参加等様々だ。トークセッションは序盤から強い熱を帯びて始まった。彼らはデザインにまつわるこの10年の変化をどう感じているのだろうか?ここからは当日の熱気をそのままに印象深い言葉達をセレクトしてお届けする。

■10年前は今ほどまでにインターネットも発展していなくて、目の前の事をやっていくだけでした。だけど、今は明らかにデザインする状況自体が変わってきていて、その意義も目的も変わり出している。大きな団体戦から個人戦へ変わった様な感覚が有ります。

■第一に「循環させたい」と言う感覚が有ります。デザイナーが良い作品を作り、それらは編集者に編集をされて、それをショップが店頭に出す。そうやって一般のお客さんを育てる状況が在る。また、その間にはメディアが存在する。そうすれば良い文化は生まれるはずなんです。そしてイベントはそれらの間にそれぞれあっていいと思う。イベントが、大きなフレーミングの役割をしてくれると思うから。

■「体感」と言うのも有るよね。情報でなく体感として知る事は場が無いと生まれない事だと思う。

■目撃して、事件を起こす状態。だからデザイニングは事件だと思っていて、事件にしている事が重要なんですよ。その役割は間違いなくあるんじゃないかと。

■ 店の視点で10年を振り返ると、大きく2つの変化が有って。一つは物と社会の接地面の変化です。10年に比べて今はネット・ブログ・SNSと、個人から発信される接地面が増えて行きました。そして情報か体感という選択肢が生まれたのがこの10年です。もう一つが、洋服屋だったら洋服だけ、という様にジャンル分けがされていた時代からの変化です。ノンジャンルで暮らしにまつわる物を集めたり、デザイナーズとそれ以外、新しい物と古い物等を同時に扱う事が徐々に自然になってきた事が言えます。そして実はもう一つ、この2、3年で起きたものが実は有るんですが、それはまた後半で(笑)

■10年前は専門店であればある意味良かったし、置いているブランドで個性を出せていました。でも今はそれだけでなく、どう置くか、どう位置づけているのかが重要になって来ました。

■日本はお店の数が多過ぎていて、個人商店が多く在ります。その中で埋没しない為には個性、顔を持って認識してもらわないといけません。顔はきっとビジネスでは邪魔をするんだけど、一方でお客さん達がそのビジネス然としたスタイルに対して多分疑問を持っているから、企業は顔を求めてくれる。そんな矛盾を内包しているとは思います。企業には顔が無い、個人商店には顔がある。

■ 例えば僕の仕事は僕の好きな本だけ持って行ったらおせっかいにしかならないんですね。だから何回もクライアントにヒアリングして、そこにあるべき物と彼らが欲しい物の距離を縮める事が仕事だと思っています。企業の社長が本を選ぶのは難しいわけですし責任も持てませんから、企業としては自分たちで何か主語、顔を立てたいと思ったときには(山田)遊さんや僕の力を借りてやらざるを得ないのでしょう。

■でも一方で個人商店は責任の所在がハッキリしているから、例えば皆が良いと思う物なんて無いですし、そのときにごめんなさいと次の物を差し出す準備は整える必要が有るのかなあと思います。

■デザイニングをなぜ辞めるのかというと、昔は作り手が伝える事によって街やデザインの状況が変わると思っていました。しかし、一方向だったイベントがやればやるほど双方向になって、イベントの価値は時間と場所を共有しながら一緒に考える事なんだろうな、と思い始めて。だから、最初の伝える事の為に始めたこのイベントは一回区切りとしてやめる事にしました。


改めてこの10年間を振り返る一言から、多様なゲストの引き出しが次々と開いて行く。この話の続きとその結論を聞きたかった人も多かった事だろう。しかし、情報発信が一方向から双方向へと変化した現代は、答えを授かるのでなく各々が自ら生みだす、生み出せる時代なのかもしれない。さて、私たちはこれから、何をデザインしよう?